第2章 -社会人生活-

専門学校を卒業前に交通事故に遭い、約3ヶ月普通に生活するまでに時間がかかりました。

その後、在学中の作品を見た企業さんから声を掛けていただき、地元のジーンズメーカーに女性服のデザイナーとして就職。

僕の地元はデニムが盛んで、街をあげてデニムのPRをしていました。

 

メーカーに就職後から女性服のデザインから工場とのやり取り等を新卒の人間が1人で担うことになりました。
仕事量もとにかく多かったです。
1回の季節ごとの新作を発表するのに毎回100以上のデザインを作りますが、世に出るのは1割です。

会社でも家でも仕事みたいな形で、休む暇がなかった。
男性部門は3人体制。なんでこっちは1人なんだよと思いながらやっていました。

しかも入社した時点で会社の経営は良くなかったみたい。
夏はエアコンがつかない。電気代の節約って言われて社員全員何も言わなかったですが、これ会社潰れるんじゃない?って思いながら1年目が終わりました。

2年目を迎えて半年した時に1年目の不安が的中し、会社が倒産。
ちょうど、退社しようか迷っていたので会社には申し訳ないですが僕にはタイミングが良かった。

 

社会人になって最初の退職までは、難聴の悪化もなければ耳鳴りの悪化も幸いありませんでした。
耳鳴りの悪化を防ぐ薬を飲みながら、日々過ごしていました。

 

退職をして半年間はフリーランスとして服の制作を受けながら生活。

 

フリーで活動している最中に同じ専門学校を卒業していた方から誘っていただき、ここから販売業をすることになりました。

ここでも何かの運命なのか女性服のお店。

 

やりたかったファッションの仕事に就いた。

 

仕事をこなしていく中で、慣れてきたくらいに消防士をやっている友人が副業を始めて稼いでいることをSNSを通じて知り、僕も興味を持ち,調べ始めました。

アパレルは色々な業界の中でも賃金が低いことは有名で、僕も将来ずっと続けていくことは正直不安がありました。

 

アパレルで起業して、これから生き残れるのか?

結婚しても養えるだけの給料は期待できない。

この人についていきたい!って思う人はいたのか?

 

僕はどれも自信をもって答えることはできませんでした。

 

次第に不安が上回るようになり、この頃からもう一つ収入源をつくらないといけないんじゃないかなと思うようになりました。

友人が副業をやっていることで、色々と調べていくこと数か月。

 

2016年に僕は副業を始めることになりました。

 

第3につづく